ひとりでいるのか、ひとりであるのか

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

私はうつ病と共に長年生活しています。こいつは普段であれば役に立つこともあります。慎重に判断したり、心の健康を意識するようにしたり、集中力を研ぎ澄ませたり、無理をしないよう行動したりするようサポートします。うつ症状は人によって様々なので一概には言えませんが、自分の強みとリンクしているケースが多いと考えています。

問題なのは症状が悪化すると日常生活に困難をもたらすことです。私の場合、本当にひどくなると食べる、飲むという生命維持活動にも支障をきたします。そして他人とコミュニケーションに負担感を覚えるため友人からの連絡も結果的に無視する形になります。友人の数は激減しました。過去の後悔や未来への不安が大きくなりネガティブ思考をグルグルと考え咀嚼し続ける。本当につらい時間です。

症状悪化と回復は行ったり来たりを繰り返します。この繰り返しがエネルギーを消耗します。ジェットコースターに乗っている感覚に近いです。それを延々と繰り返している。恐怖です。

「そんな状況を変えたい!」と一念発起してミニマリストを目指して行動してきました。シンプルな生活が整うにつれて、回復している時間が長くなってきました。その時間によく考えることが「孤独」と「孤高」の違いについてです。

 言葉の定義

goo国語辞典によるとそれぞれ以下の定義となります。

孤独

仲間や身寄りがなく、ひとりぼっちであること。思うことを語ったり、心を通い合わせたりする人が一人もなく寂しいこと。また、そのさま。

孤高

俗世間から離れて、ひとり自分の志を守ること。また、そのさま。

所感

うつ症状が悪化すると「孤独」な状態になります。世界には自分一人しかおらず、誰も理解してくれないという思いが先行します。また、他人との会話に負担感があるので自分の殻に閉じこもります。自分とそれ以外の社会という考え方です。落ち着いて考えるとそのような状況を選んでいるのは自分なのですが「なぜこんなことになったのか?」と考えてしまいます。症状が重くなると冷静に判断もできません。周囲の環境に恵まれているのかそうでないのかもわかりません。

シンプルな生活を始めてから、私は一人でいる時間を大切にしているらしいという気付きがありました。他人とのコミュニケーションに負担を感じているのも、一人の方が単純にラクなタイプだからです。内省する時間や何をしようかと考える時間も好きです。この発見はコロンブスの卵でした。一人の時間が大切なのだと思えるようになると、他の人との距離感がつかみやすくなりました。一人でいるのがベースなのだから変に他人に気を使う必要もないし、気を使われたくない。自分も社会の一部だという考え方です。これは「孤高」な状態なのではと考えるようになりました。

まとめ

「孤独」な時間を長く経験することで、自分にとって本当に必要なものが見えてきました。加えて、シンプルな生活を整えるなかでモノを通じて自分が何を大切にしているかも見えてきました。そうすると遠いと感じていた社会との距離が少しずつ近くなってきました。他人とのコミュニケーションもそれほど負担ではなくなりました。ストレスも軽減されました。大切なことを侵害されなければOKだからです。この感覚が「孤高」なのかと考えると少し自分が誇らしくなり、変に他人と比較することも少なくなりました。

「よそはよそ、うちはうち」です。うちの価値観を第一、よそ様がそれを侵害しない限りは基本的に受け入れます。平気で他人の価値観を踏みにじるような人は何かあるのかなと心の中で心配になります。職場の同僚や上司などどうしても関わらざるを得ない人が価値観を踏みにじるタイプのときは、この心境で挑めばストレスが少なく済むようになりました。

シンプルな生活を整えて、自分が大切にしていることを守るそうするだけで、孤独が孤高になったそんなお話でした。

 

ここまで読んでいただきありがとうございます。