あたりまえ。

はじめに

うつ病になってから自分の考え方やものごとの捉え方を見直す機会が増えました。そうすると、うつ以前とうつ以後で考え方やものごとの捉え方に変化があることに気が付きました。さらに、シンプルな生活を始めてからはもっと大きく変化しました。これらを振り返った時に厄介だと思ったこと、それは「固定観念」です。

定義

goo国語辞典によると以下になります。

いつも頭から離れないで、その人の思考を拘束するような考え。

変化の軌跡

うつ以前の私は安定志向、横並び意識が非常に強い人間でした。安定した生活、世間が良しとすることをやる。社会のレールに乗り続けるタイプです。

うつ以後の私は完全にダークサイドに落ちていきました。社会のレールからは完全に切り離され、もう戻ることはないだろうと疎外感を覚えていました。こころの安定が崩れ、世間で当たり前とされていることが困難になったためです。同年代の人と話していると、結婚したり、良い条件で転職したり、余暇を楽しんだり様々な経験を積んでいます。一方私は生きることに精一杯、他人を僻んで恨んで、その罪悪感で気分が落ちる。そんな状態でした。

シンプルな生活を始めてからは、不安定であり世間とは違う状況を楽しむようになりました。そう思わないとやってられないと吹っ切れただけなのかもしれません。ただ、社会のレールから外れた景色を冷静に眺めることで、自分自身が本当に何を大切にしているのか、何を幸せに感じているのかが良く見えるようになりました。

 雑感

うつ以前、うつ以後、シンプルな生活を始めてから固定観念が随分と変化しているように思います。

固定観念の厄介な所は時間や状況・環境が変わらない限り一人では見えてこない所にあります。自分の当たり前なのですから。さらに厄介な所は他人から言われても「でもなぁ」と考えて受け入れなかったら終了だということです。自分の当たり前なのですから。そこに成功体験、失敗体験などが乗っかると厄介さが倍増します。これで成功したのだから次も成功する、これで失敗したから次も失敗するという発想です。

固定観念にも良い点はあります。それがアイデンティティになり強みにもなる、さらにエネルギーの節約にもなるということです。性格や特徴、特性、その人らしさというのは固定観念と紐付いているというのが今の私の考えです。固定観念はネガティブな語感ですが、考え方や行動の蓄積によって持つようになると考えると、何かから自分自身を守るために持つようになるのではないかと思います。社会や組織との折り合いをつけていく過程で持つようになる固定観念もあります。折り合いがつけば、あとは感じるまま思うがまま行動すれば良いのでエネルギー節約にもなります。

どうしているのか?

当たり前に考えていること、やっていることはないか考える時間を休日に持つようにしています。10分~30分くらいです。何か自分自身を縛っていることだったり、当たり前になっている考え方や行動を書いてみて検討します。暇なときにこれらを見返します。1週間や1ヶ月単位でも考え方や行動に変化があることに気が付きます。それらの変化が幸せに繋がるのか、大切にしたいのかを見極めて次に活かします。よくわからないことがあれば長年付き合いがある信頼できる人に相談します。

まとめ

今でも固定観念は持っていると考えています。ですのでなるべく自分自身の考え方を疑うようにしています。そうしないと怖いからです。何を怖がっているのか。それは、変化できないことです。

普通や常識は国や時代によって簡単に変わります。シンプルな生活を始めてから、社会の普通や常識に振り回される自分がイヤなのだという発見がありました。そして、うつ症状が悪化しているときは、これらに振り回されていた時期でもありました。

この問題を解消するためには、自分自身が主体となって変化するか社会に適応し続ける必要があると考えました。後者は私には合わなかったので、前者を選ぶようにしました。そうなると自分自身で目標を設定し、そのための計画を立て行動する必要があります。社会の変化も考慮する必要があるため自分が変化する必要があります。そのため、変化できないことを恐れているのです。目標達成の障害になるためです。常に固定観念がないか疑う。そして、必要であれば変化する余白を持つこの感覚を大切にして今は生きています。

 

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