期待するということ。

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

 

「期待」が心のバランスを乱す場面に多く出会います。自分が自分に持っている期待。自分が他人に持っている期待。他人が自分に持っている期待。これらのズレが大きくなるほどストレスやイライラ、不安や劣等感、焦燥感を覚えるようになります。

中でも対他人間での期待のズレというものは解消しにくいものです。人間関係のトラブルの発端は期待にあるのではないかと思うことがあります。というのも日常生活を送っていて「私はあなたに〇〇を期待している」ということを面と向かって言う機会は非常に限られるからです。特に無意識のうちに相手に期待していることがあまりにも多く、これが互いに共有できないため関係が悪化するケースもあります。

日本文化には空気を読むとか言わずとも分かるだろうという考えがあります。信頼関係があれば通じる可能性は高くなりますが、それでも言葉に出していない心中の様子を100%理解することは人間には不可能です。

期待値のズレを少なくするために常日頃コミュニケーションを取ってお互いの考えを交換し合う必要性があると考えます。なにかストレスやイライラを感じたのであれば感情的にならず相手と自分との間に何か期待値の差があったのではないかと冷静に分析して互いに歩み寄れる着地点を見出すことが解決に繋がっていくのではないかと思います。

 

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歩くで心を整える。

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

 

生活の中に運動を取り入れようとウォーキングを行っています。簡単かつコストパフォーマンスが良い運動がウォーキングだと何かの記事で読み、これならズボラな私でも継続できると考えました。昨年の夏頃から始め現在まで波はあるものの細く続けています。

ウォーキングをして良かったことを何点かご紹介します。

1つめは、うつ症状再発サインになったということです。元気であれば抵抗もなくフラッとウォーキングに出かけられるのですが、症状が重くなると出かけることに抵抗感が強くなり数日~数週間ウォーキングを中断することが分かりました。

2つめは、ストレス発散です。自然の音を聞きながら周りの景色を楽しみつつ、ゆっくりとウォーキングを続けていると心に余裕が戻ってきます。ネガティブ思考の反芻が止まらないときや何故かイライラするときなどに効果的です。

3つめは、体への適度な疲労感です。これがあることで睡眠の質がウォーキング開始前に比べ良くなりました。入眠にかかる時間が短くなり中途覚醒も無くなりました。また1日の終りに感じる充実感にも変化がありました。感覚的な話で恐縮です。以前は何かやり残したことがあるような不完全燃焼だと感じる日が度々ありました。ウォーキングを行った日はこのような不完全燃焼感を抱くことは無くなってきました。

 

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うつ症状に悩む人は完璧主義なのかもしれない。

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

 

完璧主義に陥るとうつ症状がますます悪化していきます。かく言う私も完璧主義的傾向を持っており今なお苦しむことがあります。完璧主義が悪なのかと言われると決してそうではありません。うつ症状になりやすい特徴の1つであり、症状を長引かせる原因の1つであるというだけです。

完璧主義の良い点は妥協せず理想像に向かって突き進むモチベーションが高くなることにあります。またこのようにしていきたいという意思が強くなります。すでに知っている経験していることをより効率的に行うにはどのようにするか考える。他の人が気が付かない細部までこだわる、問題を発見できるなどの強みにも繋がります。

ではなぜ完璧主義が悪く作用してしまうのか。それはこれが絶対的に正しいという思い込みが発生するためです。頑固であり思考の柔軟性を欠くとも言えると思います。持論なのですが完璧主義的傾向が強い人ほど思い描く理想像が正しい、こうであるべきだと考えています。そうすると周囲の状況の変化や目標の有効性を再考することができなくなっていきます。理想像を否定されたと思ったら途端に不機嫌になったり動揺したりするのです。完璧主義であるということは非常に臆病でもあるのです。ガラス細工かもしれない自分の理想像を必死で守るため過敏に周囲に対して牙を剥いているのかもしれません。

 

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うつ症状と向き合うために必要なこと。

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

 

うつ症状について分析・対策を練るためには記録が必要不可欠です。うつ症状は一般化しにくいものです。人によって原因となる要因及び対策方法は異なるのです。この原因や対策まで全部一緒になって考えてくれる主治医の先生にかかることができれば良いのですが診察時間の都合等もあり、そういう訳にもいきません。それにすべてを誰かに委任して決めるという行為自体がうつ症状を長引かせる原因となっている可能性もあります。うつ症状を克服するためには主体性が求められるのです。

記録を取るということは主体的にうつ症状と向き合うステップの第一歩ではないでしょうか。記録を取らずとも症状と向き合うことができるという意見もあると思います。その時は記憶に頼ることになります。記憶というものは曖昧です。うつ症状改善にもっとも有用な情報は事実です。しかし記憶は感情の要素が大きくなり肝心の事実が歪められていることもしばしばです。異なる事実を元に分析・対策を練っても的外れな案しか生まれません。

感情という要素と事実という要素をしっかりと切り分けることができればうつ症状との向き合い方もかなり違ってきます。記録を取ることはこの切り分けの練習という意味もあります。自分が生み出した考え方や認知で自縄自縛になっている。そう気がついた時生きることがラクになります。

 

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決まったやり方に固執する人はどのように考えているのか。

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

 

私には決まったやり方、パターン、方法を守ろうとする特性があります。これには理由があります。第一に不安症、心配症なので決まったやり方だと安心できるということ。第二に決まったやり方を外れるとミスが増えるため防止する意味合い。第三に頑固で柔軟性を欠いているため新しいやり方を模索しない、できないということがあります。

決まったやり方を守りたい人にとってイレギュラーな事態にどのように向き合うかというのは難しい課題です。仕事では特にそうなのですが、どうしても発生するものですし、突発的なタスクだからと拒否することもできません。そのため決まったやり方を守りつつイレギュラーに対応しようと思うと事前の想定が必要になってきます。時間を多めに見積もっておく、イレギュラーな事態に対応する時間を設けておく、協力を仰げるような関係を保つなどです。

慣れてくればイレギュラーにもパターンが存在することが分かり、それを想定した事前の計画が立てられるようになってきます。それまでは個人的には結構神経をすり減らす時間が続きます。

本当にやっかいなのが例外的なイレギュラーに向き合うことです。このような事態になった時内心パニックになります。瞬発的な対応力や柔軟性に欠けているため一瞬頭の中がフリーズすることもあります。次に不安や心配を通り越して軽い怒りを覚えてしまいます。全員にとって青天の霹靂のような事態であれば怒りはないのですが、どこかで誰かが予見できたはずのイレギュラーが降り掛かってくると軽い怒りを覚えるのです。そして怒りを覚えたことに自己嫌悪になるのです。表に出していないつもりでもこのような気持ちが伝わってしまい雰囲気を壊すことも恐れています。

もっと自分に能力があれば対応可能でしょう。湧き上がる感情を押さえつけることは出来なくとも言葉遣いや態度などで柔らかく対応することは可能なはずです。それができていない自分に絶望するのです。

私にとっては決まったやり方を守るということが心身の体調を守るための自己防衛方法の1つです。周囲の人からは頑固だと思われているかもしれませんが、やり方を守らないと先程のイレギュラーのように頭が真っ白になって仕事が手に付かない、少なくとも効率が落ちることは確かです。

様々書き連ねてきましたが決まったやり方ばかり続けていては良い変化や成長を遠ざけてしまうのではないかとも考えます。ですので少しずつ練習していきたいと思います。

 

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積極性が欠如した結果、悩む。

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

 

どうしてもこれがしたい、これを実現したいという気持ちが湧き上がったことがほとんどありません。こうなりたい、こう在りたいという積極的な気持ちよりもこれをしなければ、これをしたら目の前の問題が解決できるのではないかという消極的な気持ちで行動しています。それは失敗をしないための消極策・防御策であり、マイナスを0にする作業でもあります。

長年この戦略を採用していた結果、目先の問題を比較的短期間で処理していく能力が身につきました。これはこれで今私の強みの1つになっています。一方でデメリットも表面化してきました。それが積極性の欠如と長期間かけて問題に取り組む力の欠如でした。

積極性の欠如については受け身の姿勢が基本になっているとも言えます。仕事場面で顕著なのですが、指示された仕事や表面化している問題を処理する仕事などは他の人よりも素早く行うことができます。一方で自らが仕事を作り出して提案する、問題となる前に手を打つなどの積極的な行動がなかなか取れないでいます。定型化された業務が得意なのでしょう。自業自得ではあるのですが、このような仕事の仕方をしていると自分のペースを守るということが難しくなります。受け身なので当然です。するとコントロール感が希薄になってきてストレスが溜まったり、いつ無理難題が来るのかという不安に襲われるようになってきます。

長期間かけて問題に取り組む力の欠如については、複雑な問題を1つ1つ解きほぐして根気よく解決に向けて進むということが難しくなりました。短期間で目の前の問題を処理する能力に磨きをかける過程で、いかに問題を単純化してすぐに解決できるよう細分化するかと考えるようになりました。そして素早く処理することに満足感を覚えていたのです。問題の種類によってはこのアプローチは非常に有用なのです。しかし、何でもこの考え方を当てはめようとする癖ができたのかもしれません。長期間かけて解決する種類の問題を先送りにするようになりました。すると問題がどんどん山積して雪だるま式に膨れ上がって年々重く感じるようになってきました。

心の底からこうしたいという気持ちが湧いてくるのを待つというのでは以前のままですし待っていられるほど今に満足しているわけでもありません。積極性が薄かった人間にとって積極的になれる何かを見つけるというのは根気がいる難事業なのかもしれません。しかし、それを見つけることでより良い人生を歩めるのであれば時間をかけてゆっくりと取り組んでみる価値は十二分にあるのではないかと思います。

 

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心に存在する穴の正体。

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

 

私は以前からアイデンティティや価値観というものが希薄もしくは持っていないのではないかと疑問を持っていました。うつ症状が悪化したり長期化する原因もアイデンティティや価値観の不在ということで説明できそうなのです。

何を目指しているのかわからない。しかし生活していて不安や緊張、ストレスが溜まっていく。場当たり的に解消は出来るものの心にぽっかり空いている穴は何をしていても塞がることはない。マイナスを0にする作業は得意になる一方で、プラスに転じる方策や行動を起こさない、起こせない結果周りに振り回されることになる。そしてもっと自分のことがわからなくなりストレスが溜まっていくという悪循環に歯止めが効かなくなるのです。

うつ症状で長期間悩み続けた結果このように考えるようになったのではないかとも思います。うつ症状に悩み、認知が歪んでいるのではないか、過去のことが何か影響しているのではないかと原因を分析し、自分という存在を細切れにしていくうちにどんどん何が自分を構成していたのかわからなくなってしまったのではないか。そんな思いが浮かぶこともあります。

価値やアイデンティティは人によっては意識しなくても問題なく生活できるのでしょう。寄る辺もなく、何かをしたいという意思も行動力もなく、ただいたずらに日々を過ごしている感覚に襲われるときに一人でいるとどうしても悪い方向に思考が向かいがちです。そんなときに少しでも前向きに人生を捉え直すには価値観という宿り木が心の中にあるかないかで大きく違います。心の視線が少しでも前に向ける何かがあることは人生の充実度に大きく影響するように思います。

ネガティブでもポジティブでもない心の真空に長い時間浸っていると無用感が湧いてくることがあります。個人的にこの無用感が最も再発リスクを高めると考えています。他人からも自分からも期待されることなく生きる目的を失っている。しかし心身の調子はいたって普通というときにふと浮かんでくる感情です。目の前の問題が片づいて、次の新しい目標やワクワクすることを追い求めれば良いのにそれが出来なくなります。

アイデンティティや価値観を考えること無く目の前の問題に取り組み続けた結果待っていたのが無用感というものでした。これからは無用感をどのように取り除いていくのかという戦いになりそうです。

 

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