人としてはたらく。

はじめに

ミニマリストを目指してシンプルな生活を始めてから「働くこと」について真剣に向き合う時間が多くなりました。思えば社会人になってから「働くとはなんぞや」とずっと悩んでいたような気がします。上手く現実と折り合いをつけて日々働いてらっしゃる方は尊敬です。30代にもなってそんなことで悩む奴なんているのかと驚かれる方もいらっしゃると思います。上手く社会の流れに乗れない、現実との折り合いがつけられない人間、それが私です。そんな私でも「働くこと」についての考え方が変わった3つのポイントがあります。それをご紹介したいと思います。

第1段階:うつ発覚以前

この頃の私は野心家で自己中心的でした。傲慢でプライドが高く、頑固。仕事は結果がすべてでそのために私生活でも常に勉強。他人と比較して足りない所は自分の力で解決してやると息巻き、優れている所は内心ほくそ笑む。若気の至りだったと思いたいくらい恥ずかしい時期です。意識だけが高く、自分の足元が見えていない。上へ上への精神でした。私生活も頭の中は仕事中心、ストレスが溜まり、高価なモノを衝動買い、コンビニで爆買い、他人と距離を置くなど精神的な平穏とは程遠い生活でした。好きでやりたい仕事だったのかと言われると疑問です。だってその時期のことはあまり記憶に残っていないのです。心のどこかで向いてないなぁ、なんかモヤモヤするなぁと考えながら過ごしていたような気がします。

第2段階:うつ発覚以降~シンプルな生活を始める前

うつが発覚して以降、強烈な後ろめたさと怖さを感じながら働き続けていました。野心家で自己中心的な態度にも関わらず、現実は社会人の基本、自己管理が全くできていなかったということですからね。うつと共に働き続けるのはいつ爆発するか分からない時限爆弾を抱えているようなものです。その恐怖感たるや。しかし、もともとの性格はなかなか変わってくれません。気がつくと野心家で自己中心的な自分が戻ってきます。頭の中が仕事中心に回っていたのも変わりありませんでした。どうやったら上手く働くことができるのか。他の人より遅れてしまった分は早く取り戻さないとといった心境です。そして、うつという盾(?)を手に入れたことで時々働くための努力を放棄するようになりました。おそらく死んだ魚のような目をして毎日働いていたことでしょう。上司も「大丈夫か?」と声をかけてくるほどでしたから。そして、働くこと自体に苦痛を感じ始めたのがこの時期です。心身の健康状態が乱れてやることなすことが空回り、結果も出なけりゃ、努力もしない、成長してるかも分からないままただ不安な毎日を送る。一番つらい時期であり、他人や環境に責任をなすりつけて逃げ続けるそんな時期でした。

第3段階:シンプルな生活を始めて以降

今がこの段階です。逃げに逃げ続けた結果、結局自分が変わるしかないということが身に沁みたからです。言い訳できない状況に追い込まれてやっと気がつくって遅いよ!と過去の自分に言い聞かせたい時もありますが詮方無いことです。それでもたまに昔の野心家で自己中心的な自分がむくむくと出てくることもありますが、まぁまぁと抑え込めるようになってきました。働いていて何が楽しかったか?何にやりがいや幸せを感じていたか?他の人はしんどそうにしているけど自分はラクにやっていたことは何だろう?といったことを考えています。今も模索中です。うつを盾に努力しないことも辞めました。うつでもそうでなくても、自分の期待ぐらい満足させてやらないと。諦めたら試合終了ですよと某監督も言ってました。自分の成長を感じる瞬間くらいあってもいいじゃないですか。ただ、このラインを超えると心身の土台が崩れると感じたら遠慮なくうつを盾に使います。働けなくなったら結果的に色々な人に迷惑がかかるので早め早めに対処しておく方がいいと感じています。

まとめ

「働くこと」からブレてしまったかもしれません。今私が「働くこと」に求めるのは、

自分の成長と幸せ、社会とのつながり、そして関わる人に少しでも喜んでもらいたい。

これにつきます。働くことに対して多くを求めなくなりました。以前の私は働くことに人生を預けすぎていたのかもしれません。自分自身の価値観やなんで働くのかということを考えて足元を固める、そんな時間を定期的に持つことが重要なのだと考えています。また、自分の人生なのですから「働くこと」にコントロールされるのは幸せに繋がるのか?そこは自分でしっかりと考えて自分なりに納得いく答えを用意しておく必要がある。そう感じています。「働くこと」と自分の幸せがどこかで交差していないと条件だけで見るようになって結果的にしんどくなる気がしています。