ひとそれぞれの在り方。
おはようございます。こんにちは。こんばんは。うつ病と共にミニマリストを目指してシンプルな生活を心がけている者です。
はじめに
私はうつ病、発達障害(ASD)グレーゾーンとなってから社会が求めている在り方と自分自身の在り方とのギャップに苦しみました。社会で暮らしていると「もっと成長を」「もっと売上を」「もっと良いモノを」「もっと給料を」「もっとキレイに」「もっと簡単に」「もっと早く」「もっと効率的に」「もっと交流を」…もっともっと…と上へ上へという意識が求められているような感覚になります。ネットやテレビ、SNSなどを見ているとその感情をより刺激されているように感じます。いい生活や理想とするライフスタイルを実現している人、特別な才能を持つ人を見る機会が多いからでしょうか。そんな人と自分を比較してこのままで良いのかと悩むことがあります。
そんなとき「足るを知る」という言葉を思い出しました。
定義
goo辞典によると以下のような定義となっています。
身分相応に満足することを知る。足る事を知る。知足
昔の私
この言葉は学生の頃に知りました。私はネガティブに捉えました。身分相応に満足するということは現状に甘んじて自分を納得させる言い訳だと考えていたためです。こころの問題を直視するまではこの考えを捨てきれませんでした。もっともっとという社会の波に乗っていてそれなりに上手く生きていたからかもしれません。理想の自分がいて今の自分はまだ成長過程、身分相応は老後になったときに決めるそういう心境もあったと思います。
今の私
うつ、ASDと共に生きようと腹を括ってから社会の波から一度避難していた時期があります。その際に自分自身のことをよく考えるようになりました。
身分相応に満足することは自分が大切にしていることを守ることだと考えが変化しました。社会情勢が激しく変化する昨今、身分相応を維持することも大変です。変化への対応能力も問われる場面もあるでしょう。
理想の自分と思っていたものは尊敬する人や理想とする人をキメラ合体させた幻想に過ぎないと分かりました。そう考えると完全に身分不相応です。環境や状況、時代や世代も違うなかで同じような人生を送れるかと言われると疑問です。また、私が目にしているのは世間のフィルターを通して見たその人の最も輝かしいタイミングに過ぎないです。その人はその人にとって大切なことをした結果、そのような人になったのだと思うようになりました。自分が大切にしたいことを守り続け身分相応に生きている人、私の理想であり尊敬する人です。
まとめ
私にとって大切なことは、こころ穏やかに静かな環境でゆっくりと本を読んだり映画を観たりすることです。シンプルな生活を始めて見えてきた身分相応な生活がこれです。そんなに多くはありません。しかし、常にこの状態であろうとすると生活の糧は必要です。自分でコントロールできる時間も必要です。仕事から家に帰ってすぐ寝るという生活では大切なことを損なってしまいます。これからはそのための試行錯誤を繰り返す必要があるでしょう。少なくとも現状では自分自身満足していないからです。うつの重症化リスクは心穏やかな生活を脅かします。ASD傾向についてはこの生活にとっては良いかもしれません。ゆっくりと自分の時間を過ごしながら仕事をするには働き方を変える必要もあるかもしれません。
足るを知ることで人生の方向性が大きく変わりそうです。
ここまで読んでくださりありがとうございます。