オモシロさを探求する。

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

うつ病と共にシンプルな生活を目指している者です。

はじめに

うつ病になる以前から私は人生が面白くないと感じていました。そして、うつ病になりました。症状が悪化すると生きていること自体が苦痛になります。こうなると面白いと感じる以前に不安や後悔、自責、他責などネガティブな感情や考えが頭の大半を占めています。「生きていても意味がない」そのような希死念慮が浮かんだことも正直あります。今は症状が安定しておりネガティブな感情や考えは減っています。しかし、人生が面白くないと感じる時間は変わりません。

なぜ人生面白くない?

私が辿り着いた結論の1つが面白さを受け身で待っているという要因があります。

「面白くないと感じるのはお前が面白くないからだ」と何かで読んだのか聞いたことがありました。当時は批判されているように感じて受け流していました。しかし最近考え方が変わりました。確かに一部合っているなと。面白いことは他人から与えられるものだと考えていた節があるのです。自分から面白いことをするには時間も労力もかかります。自分から何かを企画したり、創作したり、人付き合いをすることは重労働です。なので読書や映画鑑賞、動画視聴などに面白さ求めていました。私にとっては簡単な方法なのですが効果が長続きしないという欠点があります。

もう一つの結論は人生において面白さとは何かが今ひとつ明確ではないという要因があります。

前述のように受け身の面白さもあります。そこに一定の満足感を得ていたことも事実です。ずっと面白いことを発信し続ける人生というのも想像できません。「では本当は何が面白いの?」と聞かれると「うーん…。」と唸ってしまう。仕事に面白さを感じることもありますが今ひとつです。私生活も読書や映画、動画視聴は面白いのですが一過性のものです。何かが足りないのです。動物動画を観て一時的に癒やされても翌日には面白くない日々が待っています。

結局今ある環境の中から面白そうな「雰囲気」のものを消費しているだけなのです。そんな生活に慣れきってしまい自分で何が面白いのか判断したり決断したりする能力が損なわれているのではないかと考えるようになりました。

まとめ

何を面白いと思うかは人によって様々です。花鳥風月という言葉があるように最終的には風の動きや月の満ち欠けに趣を感じられるようになるのかもしれません。それも良いと思います。しかし、欲を言うと自分自身が面白くありたい。そう思います。芸人さんのような人を笑わせる面白さではなく自己満足のための面白さを持ちたい。0から1にするような創作活動をしてみたい。シンプルな生活を始めて、うつ症状が安定して頭が平穏になって初めてそのような考えが浮かびました。人に褒められなくても評価されなくても鼻で笑われても自分が面白いと思えることを考えて作り出している。そのような人が羨ましくそのモチベーションに感服する次第です。

 

ここまで読んでくださりありがとうございます。