自分らしく生きよう!?

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

うつ病と共にシンプルな生活を目指している者です。

はじめに

発達障害グレーゾーンである私は自閉的な傾向(ASD傾向)が強く1人でいることが多いです。そのため、うつ症状が悪化すると負のスパイラルが発生してネガティブな考えの泥沼に落ちていきます。この状態はしんどいと考え、うつ病について勉強した時期があります。その時に、人が持つ「期待」について学びました。難しく言うと役割期待と呼ぶそうです。

期待とは?

期待というのは「〇〇らしさ」とも言い換えることができます。父親であれば父親らしさ、母親であれば母親らしさ、コンビニの店員であればコンビニの店員らしさ、道ですれ違う人であれば道ですれ違う人らしさです。

この期待=〇〇らしさは無意識的に持っています。道ですれ違う人にいきなり声を掛けられると驚きますし、普段饒舌な人が沈黙していると心配になります。友人からのサプライズプレゼントは嬉しいものですし、買い物のとき店員の人に質問して真摯に対応してもらえるとありがたい気持ちが湧いてきます。逆に営業トークは鬱陶しいときもあります。

このように無意識のうちに持っている期待=◯◯らしさとは違う行動を人が取ったときに反応が生じます。良い悪いは別です。無意識に持っているものなので、実際に遭遇しないと分からないことが多いように思います。

よく考えると・・・

期待=〇〇らしさは自分自身にも当てはまるのではないかと考えています。無意識のうちに自分が自分にかけている期待。これ以上自分を縛り大きなストレスになるものはないのではないでしょうか。

シンプルな生活を送り始めてから余裕時間が増えたので自分自身のことを掘り下げる機会が多くなりました。そのとき自分の行動を制限しているものは何かを書いてみたことがあります。うつ症状、ASD傾向もその中に含まれていました。その時、

「私は人から言われたことを何の疑いもなく受け入れているのだけなのではないか。本当の自分らしさとは何なのか。」

とふと思いました。

自閉的な性格は間違いなく1人でいる時間が好きなのは変わりません。ただ、うつ症状やASD的傾向が自分らしさを構築していると思い込んでいたようにも思います。

それの何が良くなかったか。症状を悪化させてしまっていたこと、可能性を閉ざしてしまっていたこと、本当の意味でワガママになれなかったことです。自分らしさは自分が一番よく理解していると思いがちです。自分の主観なのですから。何人かに同じことを言われると、その意見に左右されることもあります。客観的な事実のように聞こえますから。

しかし、それらの自分らしさは本当の自分の気持ちに沿ったものであるのか。今の私はそれがよく分かりません。こういう人間でありたいという気持ちも将来こうなりたいという気持ちも他人と比較する気持ちも自分本来のものなのでしょうか。

自分らしさに沿って生活していることで今が幸せなのであればそれで良いと思います。しかし、どこかモヤモヤした気持ちが残ったり、不安や後悔の時間が多くなったりとネガティブな感情や考えが多くなったと感じたなら、それが何由来なのか検証する時間を持っても良いのではないかと考えています。

まとめ

期待というものについて書いてみました。人は他人に対してその人らしさを無意識的に求めています。その人らしさから外れることがあるとポジティブな感情やネガティブな感情が芽生えて行動が変化します。それは観測可能であり対処可能なことであると考えています。

自分が無意識にもっている自分らしさを観測することは難しいです。本当に自分が持ちたい「らしさ」なのか、他人から与えられてその役割を演じるための「らしさ」なのか。この見極めが非常に困難です。期待が良い方向に作用しているときは問題ないのですが、悪い方向に作用してしまうとなかなか気が付かない。経験や成功体験、人から言われてきたことそういったことを0から見つめ直すという発想がまず浮かんでこない。そこが問題の根幹だと思います。ただ、他人から与えられた役割を演じ続けるのは非常に疲れます。私のようにうつ症状であったりASD傾向がある場合、その役割を演じ続けることは現実的に困難でもあります。この困難を感じるときに症状が悪化します。

私はワガママなので他人が期待する役割を演じ続けるのは辞めたいと思っています。他人というのは世間、社会も含みます。自分にとって大切なことを守ること幸せな人生を送ることに繋がることをしていきたいのです。

ワガママを通して本当に生活していけるのか。本当の自分らしさとは何なのか。これは最後までわからないのかもしれません。

 

ここまで読んでくださりありがとうございます。