1年間安定して過ごすためにそれぞれの季節をどう乗り切るか。

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

 

寒さが深まる今日この頃温かい家に籠もる心地よさに勝てなくなっています。温かい時期は外出して運動でもしようという気概が休日でもあったのですが、すっかり巣ごもり状態です。夏季にあった運動習慣も一つずつ消失していき今ではインドア派に逆戻りしました。家での運動もしなくなっています。健康維持のためだと頭では分かっていても体が動かないです。

それでも以前のようにうつ症状に悩むということが減りました。睡眠も食事も十分に確保できてます。不安や焦燥感といったネガティブな感情を引きずることも少なく正常範囲内と言った所です。その点は成長できたのかもしれません。個人的には強いストレスを感じることなく生活できていることも要因なのかなぁとも思っています。自分らしい生活スタイルというかいい意味で自分のことを諦めるというか期待しないというか・・・。でもやれることは粛々とやるというような。以前にはない心持ちで生活できていることは本当に大きいと思います。

1年を安定して過ごすということを考えると夏に十分に活動して冬の寒い時期は冬眠するかのように生活するというスタイルが私には合っているのかもしれません。どの季節でも毎日最高のコンディションで生活することは確かに理想的です。そこまで自分は強く無い人間だとも理解しているので頑張る時期と休む時期を分けないと上手く安定したパフォーマンスが発揮できないのです。

過去のことを振り返っても冬になると著しくパフォーマンスが下がる傾向にあります。だとすると冬はエネルギーを蓄える時期といっそ割り切っても良いのかもしれません。

うつ病になって色々な方から言われたことの一つに安定してエネルギーを出すことが重要ということがありました。100%を4ヶ月20%を8ヶ月という出力よりも60~70%を12ヶ月継続して出力できたほうが良いという意見です。しばらく検証してみたのですが、どうも私にはこの出力コントロールが上手くいきません。安定した出力を目指すと全体のバランスというかパフォーマンスも下がる気がするのです。

だったら1年を通して出力全体を上げる方法を取ったほうが私には合っているのではないかと考えました。季節によって活動量を変えるのもその一環です。頑張っても出力できないのであればソコソコにしておいて次に向けてエネルギーを蓄えておいた方が良い気がしています。

 

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区切りを設けることは毒になりうる。

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

 

1年も終わりに近づいてきました。今年1年の総括をしたり新年に向けた目標を考えながら日々過ごしています。

そこで節目の持つ意味について考えることがあります。私に取って節目というのは新たな目標に向けて出発する転機を意味しています。新年に目標を立てたり、四半期毎に目標を立てたり月毎や週毎に目標を立てることがその一つです。

何か始める切っ掛けは多い方が良いのではという考えから日常の中で節目を多く作るようにしていました。これによって新しく始めることができた習慣などがあり利点は多かったです。

一方で弊害も見られるようになりました。それが先延ばしグセが付いたことです。節目が毎週のようにあると少し面倒だと感じたことは次の週に回そうという考えが頭をよぎることがあります。また、週の半ばくらいに良いアイディアが浮かんだとしても次の節目に持ち越そうと思うこともあるのです。節目を作ったのであればそれに従わなければならないという先入観があるせいかもしれません。

節目は何かを始めるきっかけとしては最適だと思います。しかしそれが何かを先延ばしにする言い訳になったのであれば活用しない方が良いのかもしれません。人によってどのスパンで節目を設ければ良いのかというのは違うと思います。また長期や短期といった目標の種類によっても異なることでしょう。

目標を設定するという意味においては本当は1年の終わりや始まりも意識しない方が良いのかもしれません。何かを始めるタイミングを外的要因で決めてもあまり長続きしないのは経験上知っています。最初のうちは節目をきっかけにして始めることも良いのでしょう。ゆくゆくは節目というものを意識すること無く自分自身がやりたいタイミングでやりたいように目標設定し検証できるようになると先延ばしグセも抑えられるのではないでしょうか。

節目をどのように活用していくのかもっと考えていきたいと思います。

 

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閑話休題。

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

 

心から余裕が消えていくと誰かに優しくしようという気持ちが減っていくように思います。誰もがそれぞれのペースを持っていてそれを尊重したいという気持ちは持っているのですが、それも心の余裕が無くなってくると自分のペースにしたいという気持ちが強くなってきます。ゆっくりと丁寧な暮らしをしたいと思い始めたシンプルな生活ですが、気持ちが焦ったり自分のペースが乱れることが多発するとどうしても維持することが困難になるようです。人生の経験値が少ないからなのか、単に狭量な性格なのか、まだまだ成長できる余地があると思うと楽しい気持ちになる一方、自分自身の浅薄さに少し辟易としてきます。

 

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観察、分析、行動、改善のサイクルに個性が出る。

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

 

状況を観察して分析する時期と行動的になる時期が波になっていることが分かりました。前者の時期に今降り掛かっている問題点について洗い出しを行い解決までの道筋を立てます。また以前行動していたことで問題があれば改善のための計画を立てたりします。そして後者の時期になってからすべてを片っ端から実践していくという流れが自分に合っているようです。

観察、分析、行動、改善というサイクルを問題点ごとに日々細く回している人も見かけます。私の場合は事前計画を微修正する形であればできるようなのですが、計画から大きく外れることはできないようです。

このサイクルのズレが仕事上問題になることもあるように思います。サイクルが短い人からするとサイクルが長い私のようなタイプを見るともどかしく思う場面があるかもしれません。サイクルが長い人からするとサイクルが短い人の行動が短慮に思えたりそのペースに振り回されて疲れるということもあるかもしれません。どちらが良いわけではありませんが昨今はサイクルが短い人の方が認められやすいような気がしています。

 

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事実を大切にするか感情を大切にするか。

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

 

事実と意見、判断、感情を切り分けることが難しい人ほど、うつ症状の回復に時間がかかったり状態が深刻化しやすい傾向にあります。あくまで私個人の主観です。ですが私自身もこの切り分けに難儀したことで症状が深刻化した経験があります。その経験を書いておくことに何か意味があるのではないかと考えました。

事実に基づいた考えが難しくなるとネガティブ思考の反芻が起こりやすくなります。極端になると被害妄想に近い考えがよぎることもあります。意見や判断や感情は事実とは異なる可能性があります。あくまで主観の考えやその反応であることがほとんどです。となると事実と異なる現実を見てしまい自分の中の空想を膨らませることとなります。うつ症状があるときはそれがマイナス方向に向いやすいです。反転してプラスに向けば良いのですがそれも難しい。となるとどんどんマイナスの深い所に突入していくこととなります。これはうつ症状にも限らないと考えています。プラスのことでも事実に基づかない思考を繰り返していれば現実味の無い根拠なき自信家のようになってしまうリスクがあります。自分なりの経験や判断からできると思ってしまったり能力以上のことを相手に求めてしまったりすると後でしっぺ返しを食うのは自分です。

意見や判断や感情はあくまで自分の心のメガネを通してみた現実から生まれるものだと認識しておかないと痛い目に合います。人は見たい現実しか見ないと何かで読んだことがあります。まさにその通りだと思います。常に事実ばかり考えている人は無機質な気がしますし、主観でしか考えられない人とは付き合うのも気苦労してしまいます。両者のバランスが大切なのだと思いますがこれは練習が必要なのではないかという気がしています。

右脳有利とか左脳有利とかよく言われているように個人個人でどちらかが得意というものを持っています。事実のような客観性を重視しているのか感情などの主観性を重視してるのかを把握しておくことが重要なのではないかと思います。そして時と場合によってそれらを切り替えることが自分の精神状態を安定させる秘訣なのではないかと考えています。

 

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組織目標と個人目標について最近思うこと。

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

 

全員で同じモチベーションを持つというのは難しいものです。同じ目的や目標を共有していてもそれぞれの解釈や実力、能力、経験が異なるだけで取り組む姿勢が変わってきます。面白いと思うのは、その人がどういう人生を歩んできたのかその1点が目標や目的に対する態度を決めているのではないかと思える所です。今までになかった価値観や行動、態度を求められると抵抗する人がいれば、すんなりと受け入れる人もいます。目標に向かって最短で向かいたい人もいれば過程を大切にする人もいます。どれが正しくてどれが間違っているということはない所も面白いです。

ただ目標に至るまでの考えや価値観が異なることで摩擦が生じることは確かです。その摩擦がモチベーションの差に見えることもあります。行動重視の人からすると思考重視の人の考えや行動は理解し難く、逆もまた然りです。

目標や目的の設定次第では全員のモチベーションを揃えることも可能なのかもしれません。しかし私の経験上目標設定は個人の価値観や考えが反映されることが多くこれを揃えようと思うとかなりの難事業になりそうです。

組織全体の大目標に対して個人の個別の目標をどのように設定するのかというのがモチベーション維持のためには必要なのではないかと思います。

 

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人をカテゴライズしたくない。

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

 

人と自分を比較することを止めても、その人をカテゴライズするクセは止みません。人に対して先入観を持ったりレッテルを貼ることはマイナスになることは理解しています。私自身も勝手な思い込みやレッテルを貼られていると思うと寂しい気持ちになるタイプです。日常生活を送る上ですべてのタイミングで真新しい気持ちで他人と接することは非常に難しいです。エネルギーを使うからでしょうか。優しい人と冷たい人、仕事ができる人とできない人、話していてラクな人と疲れる人などある程度カテゴリ分けできていた方が接するときにラクだという思いもあります。少ない経験から人を勝手に判断することは損に繋がるとわかっていてもどうしても先入観が邪魔をしてきます。

どうすればこのクセが収まるのか。今後も検証が必要です。

 

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