やりたくないことを排除する戦略。

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

 

昔から何かをやりたいと思うことが少ないです。どちらかというとやりたくないことを排除する方向に考えが進むことが多いのです。不満を解消して過ごしやすくすることを目標にしているという感じでしょうか。

この戦略にはデメリットが2つあります。1つは日常生活から不満がなくなると行動する理由が見当たらなくなることです。もう1つは目標を達成したとしても前進しているという感覚が薄いということです。前者についてはこうしたらもっと良くなるというビジョンが自分の頭に浮かびにくいという要因があるのではないかと考えています。こういう習慣が身につけばとか、これを買えばもっと便利になるかもしれないという発想が薄いのです。人生にプラスになることがあまり意識できていないのかもしれません。後者については無くなったら快適になるものの自分のスキルや経験に活きることが少ないからなのかもしれません。付け加えることよりも排除することを優先するマインドは満足感が得られにくいのかもしれません。

やりたくないことはなるべくやらない方が良いというのは世の習いだと思います。しかし、それが目的化してしまうと自分が本当は何がしたかったのか見失うのだと思います。何かしたいことがあるからやりたくないことを減らすというのが正しい筋なのかもしれません。肝心のやりたいことがないまま、やりたくないことばかりを排除し続けると行き着く先は虚無です。特に意識することも無く平坦な日常が流れていく。そういう日常が好きな人もいるかもしれませんがずっと続くと思うと私は少しつらい気持ちになります。やりたいことを見据えながらやりたくないことを排除していくこのバランスが大切なのだと思う今日この頃です。

 

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「慣れ」は油断を誘う。

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

 

シンプルな生活を心がけるようになってからメンタル面が非常に安定してきました。環境要因によって気分が落ち込むことは未だ良くありますが極端な落ち込みによって日常生活に大きな影響を与えるような出来事は無くなりました。

メンタル面のケアを意識しなくても安定期が続くようになってきました。すると日常生活に組み込んだ習慣のうち何がメンタル面の安定に寄与しているのかが分からなくなってきました。普通に生活しているだけで安定するのは理想的な気もします。しかし過去にうつ病の再発を数回経験している身からすると何が効果的で何が効果的ではないのかを正確に把握しておくことは今後のために必須なのです。再発リスクを下げるという意味合いと再発しても早期回復できる状態づくりがうつ病と長年付き合うコツだからです。

意識する機会が減り生活が安定してくると慣れという問題がどうしても起こります。そして慣れの状態は油断に直結します。今は問題がないから大丈夫だろうという考えからサインを見逃したり、対策を怠ったりする可能性があります。また流動的に変わる体調というモノを甘く見ていつでも同じ対応を取れば良いという慢心にも繋がります。

始めた当初よりも使うエネルギーが少なくてもできるようになるというメリットも慣れにはあると思います。しかし何故、何のためにしているのかを忘れてしまうほどになると危険なのではないかと思います。

常に先入観なく真っ白な状態でモノゴトに対するというのを信条としたいと考えているのですがどうしても慣れという状態に入ってしまいます。まだまだ精進が必要なようです。

 

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体の痛みはストレスである。

おはようございます。こんにちは。こんばんは

 

体のコンディションが乱れると心の状態も乱れるということを実感しました。関節に痛みを感じて歩くのがしんどい状態になったことがあります。立っていても座っていても寝ていても痛みを感じるので睡眠もままならない状態です。この状態が続いたことにより言いようもないイライラが蓄積していくことを感じました。動くたびに痛みが生じ、その都度舌打ちやため息などが自然と出ていました。痛みが引いて元通りになった途端イライラや舌打ちやため息がなくなったことから相当なストレスだったのだろうと想像します。

この例は自覚症状があり現実に体の痛みを感じていたという点ではわかりやすかったのかもしれません。無自覚な痛みやストレスがもしかしたら心の調子を左右しているのかもと思うと少し怖くなりました。今後は体の健康にも留意しながら生活したいと思います。

 

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手放した先のことを決めないと自堕落になる。

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

 

何が自分にとって大切なのかというのは失って分かるという趣旨の言葉を良く聞きます。そういう意味では何かを手放すということは何かを手に入れたり維持したりすることに比べれば容易なのかもしれません。

例えば健康がそうです。意識せずに生活していたら徐々に健康を手放すことになります。一度健康を手放してしまうと回復には莫大な時間とエネルギーが必要になります。そして失ってようやく大切さが身に染みるのです。

ミニマリストとして生活をしようと志してから色々なモノを手放してきました。物理的なモノから情報、人間関係等多岐に渡ります。その手放したモノの隙間を何で埋めるのか、もしくは埋めないのかを決めていなかったため混乱する瞬間があります。当初目標としていたうつ症状の安定というのも達成したこともありどこに向かえばよいのか迷いが生じているのです。結果空いた時間を自堕落に過ごすことが多くなっています。このままでは単に何かを手放しただけになってしまうのではないかと少し心配しています。もう一度初心に返る必要がありそうです。

 

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行動に移すきっかけとしての〇〇。

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

 

私は信心深いタイプではありません。神社に行けばおみくじを引くことはありますが、その時に楽しむイベントの一つとして捉えています。また並列で語って良いのかわかりませんが占い等も信じることはありません。血液占い、星座占い、手相などもエンターテイメントとして楽しむことはあっても本格的に信じることはありません。

しかし今年はこれらのことを信じて行動してみるのも面白いかもしれないと考えています。新しい行動を起こすきっかけにしたいというのが宗旨変えの理由です。頭で考える時間の方が多い私はしばしば行動に移すということが後回しになる傾向にあります。また同じような生活から新しいことを始めようと思っても難しい側面があります。

2020年は今自分にできることを考えて着実にやるという一年でした。そんな中浮かび上がった課題が「行動する」「挑戦する」ということでした。心身共に安定はしてきたものの頭でっかちになって行動に移すことができていないという気づきがありました。そして行動しないことで何か大切な機会を逃しているのではないかという疑念が浮かびました。

2021年は行動することを中心に生活していきたいと思っています。苦手なことなので何かのガイドがあればと思い占いに頼ってみることにしたのです。盲信することはなく何かを踏み出すきっかけとなる助言があれば素直に従ってみようというものです。

何ヶ月か実験してみて効果のほどを検証できればと考えています。

 

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ASDでも人恋しくなることはある。

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

 

 私はうつ病と同時にASD的傾向を持っています。一人でいることが基本的に好きです。一人でいる時間は長ければ長いほどリラックスできます。逆に不特定多数の誰かと接する時間が長くなるとストレスが溜まってきます。

気持ちや考えを伝えることも苦手です。そこに至る過程をどう組み立てれば適切に相手に伝わるのかが分からないからです。批判する言葉も褒める言葉も上手く形にできません。照れくさいということもありますが言葉にする資格がないと思っているからです。感謝の言葉は比較的口にしやすいです。ただ具体的に何に対して感謝しているかを伝えることは難しいです。また会話のタイミングが分からなくなることがあります。もう終わった話を思い出して口に出し相手を戸惑わせることもしばしばです。

人と接するということに難を感じている私も無性に人恋しくなる瞬間があります。冬の寒い時期や夜一人でいる期間が長くなると誰かが側に居たら楽しくなるのだろうかと考えます。都合が良い時だけ誰かに側にいて欲しいというのは自己中心的だと自分でも思います。一人が好きだといくら思っていても根っこでは誰かと一緒に居たいという気持ちがあるのでしょう。

この気持ちは何なのかと考えたときに私は愛情に餓えているのではないかという仮説が出てきます。家に居ても実家で過ごしていても、どこか居心地が悪いというかしっくりこない感覚になることがあります。家族でいても一人でいてもボーッとして現実を生きていないような胸にぽっかり穴が空いているような気持ちになることもしばしばです。その気持ちを埋めたり忘れるために衝動買いをしてしまったり、ふて寝したり、酒を飲んだりして時間が過ぎるのを待つということもあります。

思えば誰かと深い関係になることを恐れている節もあります。誰かと居る時は親しい人であってもどこか一線を引いているのです。それで愛情に餓えているというのもどうかとは思います。もしかすると幼少期から誰かに上手く自己表現したり甘えるということをしてこなかったのかもしれません。そして大人になって、そのことを直視しないために一人が好きだということにして課題を先送りにし続けているのかもしれません。もしくは何かに没頭することで愛情への餓えを忘れようとしているのかもしれません。本当に信頼できる人が一人でもいたら何かが変わるのでしょうか。いたとしても変に依存してしまわないか心配ではあります。

何にしても本当の心の声を無視し続けていてはどこでどのように爆発するかわかりません。いい大人になってから甘え方を覚えるというのも変な話ですが、誰かに頼るということはもっと上手くなっても良いのではないかと思います。

 

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やる、やらない、どちらの選択を多くしますか。

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

 

新しいことをやる理由を探していたはずがいつの間にかやらない理由を探していることがあります。特性的な要因もあるのかもしれません。私は日々の生活において安定を第一にしている節があります。何かをどんどん良くしていくというよりも今の安定をどう維持していくか今やっていることやあることで何とかならないかに思考の力点が置かれているのです。これをすると人生がより豊かになるだろうと思っていたことも、思い立った瞬間はやる気に満ち溢れるのですが、時間が経過すると何かと理由をつけてやらない方向に進んでいくことが多いです。

新しいことをやるというのは0から1を生み出す作業だと思っています。私にとってそれには莫大なエネルギーと行動力が必要になります。特に行動力の面で私は挫折することが多いです。思い立ってやる気が出てくるとある程度計画を立ててシミュレーションを行います。それだけで満足するのです。実際には頭の中ですべて完結しており実際の行動に移すことというのはシミュレーションが上手く行かないと思ったごく一部や今の生活でやっていることを少し改善すればできることだけだったりします。頭でっかちで結論ありきで行動しているのかもしれません。

それと比較してやらないという選択肢を取ると想像だけで体を動かさずに済むというメリットがあります。エネルギー効率的には良いという判断があるのかもしれません。しかし実際のところは実地での検証も進まないため失敗なのか成功なのかという経験を積むことができず同じ失敗を繰り返すリスクがあります。一時のエネルギー効率としては良いのかもしれませんが人生全体のことを考えると逆に無駄なエネルギーを消費している可能性もあるのです。

やるという選択肢よりもやらないという選択肢を多く取ってしまうと適度に失敗するチャンスを棒に振っているのかもしれません。そして何かをやるということに対するハードルが上がりきってしまうため行動に起こすことはすべて成功させなければという強迫観念にも近いものができて、それがうつ症状に繋がる要因になる可能性もあります。人生における重大な判断で間違えないためにも、また適切な判断を下せるようになるためにも頭で考えるだけではなく行動して失敗する成功するという経験を多く積み重ねたいと思う今日このごろです。

 

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