ASDでも人恋しくなることはある。

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

 

 私はうつ病と同時にASD的傾向を持っています。一人でいることが基本的に好きです。一人でいる時間は長ければ長いほどリラックスできます。逆に不特定多数の誰かと接する時間が長くなるとストレスが溜まってきます。

気持ちや考えを伝えることも苦手です。そこに至る過程をどう組み立てれば適切に相手に伝わるのかが分からないからです。批判する言葉も褒める言葉も上手く形にできません。照れくさいということもありますが言葉にする資格がないと思っているからです。感謝の言葉は比較的口にしやすいです。ただ具体的に何に対して感謝しているかを伝えることは難しいです。また会話のタイミングが分からなくなることがあります。もう終わった話を思い出して口に出し相手を戸惑わせることもしばしばです。

人と接するということに難を感じている私も無性に人恋しくなる瞬間があります。冬の寒い時期や夜一人でいる期間が長くなると誰かが側に居たら楽しくなるのだろうかと考えます。都合が良い時だけ誰かに側にいて欲しいというのは自己中心的だと自分でも思います。一人が好きだといくら思っていても根っこでは誰かと一緒に居たいという気持ちがあるのでしょう。

この気持ちは何なのかと考えたときに私は愛情に餓えているのではないかという仮説が出てきます。家に居ても実家で過ごしていても、どこか居心地が悪いというかしっくりこない感覚になることがあります。家族でいても一人でいてもボーッとして現実を生きていないような胸にぽっかり穴が空いているような気持ちになることもしばしばです。その気持ちを埋めたり忘れるために衝動買いをしてしまったり、ふて寝したり、酒を飲んだりして時間が過ぎるのを待つということもあります。

思えば誰かと深い関係になることを恐れている節もあります。誰かと居る時は親しい人であってもどこか一線を引いているのです。それで愛情に餓えているというのもどうかとは思います。もしかすると幼少期から誰かに上手く自己表現したり甘えるということをしてこなかったのかもしれません。そして大人になって、そのことを直視しないために一人が好きだということにして課題を先送りにし続けているのかもしれません。もしくは何かに没頭することで愛情への餓えを忘れようとしているのかもしれません。本当に信頼できる人が一人でもいたら何かが変わるのでしょうか。いたとしても変に依存してしまわないか心配ではあります。

何にしても本当の心の声を無視し続けていてはどこでどのように爆発するかわかりません。いい大人になってから甘え方を覚えるというのも変な話ですが、誰かに頼るということはもっと上手くなっても良いのではないかと思います。

 

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