自己責任は成長にも停滞にもなる。

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

 

起こった出来事を何かのせいにしたり誰かのせいにしたりしたくないという気持ちが強くなってきました。起こってしまった出来事は多少なりとも自分に原因の一端はあります。そのことを考えずにいることで短期的には気持ちがラクになります。滅多に発生しない出来事なのであれば見ないふりをするだけでもう一生関わることもなくなるでしょう。しかし同じ原因で別の出来事が起こる可能性は残り続けます。自分が持っている何かが原因なのであればそれを突き止めなければ同じような出来事が起こった時に対処できない状態が続きます。傍から見ると同じようなことをして何度も悩んでいるように見えるかもしれません。

私は基本的に自己責任という言葉は嫌いです。特に他人から聞く自己責任いう言葉が大嫌いです。というのも自己責任というのは自分が成長するためにこそ必要なのであって他人がとやかく言う筋合いは無いと思っているからです。自己責任だという言葉を多く使う人は責任を他人に押し付けたいだけの狭量な人が多いという印象です。かくいう私も良く使ってしまう側の人間なのですが・・・。反省して振り返ってみると余裕が無くなったりして相手のことを思いやれないときに自己責任という言葉を良く使っていたように思います。そう切り離せばその人のことをそれ以上考慮する必要はないからです。

人によって成長速度や経験から学べることは大きく違います。同じ出来事でも1回でほぼすべてを理解できる人もいれば何十回も経験してようやく理解できる人もいます。しかし別の出来事であれば何十回もかかった人が1回で理解できることもあります。これはその人の特性や特徴であって、その人らしさを形成するものだと思います。

こう考えるようになったとき、一層自分なりに一歩ずつ成長していくことの重要性を認識するようになりました。他人から何かを言われて全く進めなくなったらその時本当に成長が止まってしまうのです。そう考えると悔しい気持ちが湧き上がってきます。だったら少しでも自分にできることは何かを考えて大本の原因を考えて対策を練ってみる。成功しても失敗しても誰かから何かを言われようともその分は確実に成長に繋がります。そこで不貞腐れてしまっては変化が起こりません。

他人からとやかく言われるのがイヤだという自己中心的な性格が根っこにがあるのかもしれません。そのためには自分でできることの範囲を広げて自由にやりたいという子供っぽい思惑でもあるのでしょうか。

 

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