己を知り尽くすことは可能なのか。

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

 

皆さんは自己理解できていますか。私はうつ病寛解のためには自己理解が大切という話を聞いて以降自分と向き合う時間を増やしました。そして現在終わらない自己理解に圧倒され始めています。

最初は自分自身のコアな特徴を理解するために行っていました。特徴が悪く出ると症状悪化に繋がるため事前に予防したいという意図でした。これはある程度成功しました。頭の中で考えるだけでは無く目に見える形で残したことと具体的な行動に結びつく対策を練ったことが要因だと思われます。また、色々な人に聞き取りを行ったことも対策の精度を上げてくれました。

次に日常生活を送る上での生きづらさを回避するために自己理解を深め始めました。コアな特性が悪く出る場面はすでに危険水域まで到達してしまっているケースが多かったのです。最悪な状況を回避するという意味ではコアな特性回避は有用でした。危険水域より早く対処するために日々感じている何か生活しづらいなぁと思う状況を思い出して何か共通する特徴は無いか、その状況に陥ったのはなぜか、どうすれば回避できるのかを考えました。するとそこでも新たな自分の特徴を発見することができました。1つ1つ個別具体的なケースを潰していくため大変な労力はかかりますが再発防止という点では有用でした。

そして現在、自己理解という壁に圧倒され始めています。いくら時間を投下しても終わりがないためです。それだけ自己理解が深まり対処しなければならない事が減っただけなのかもしれません。私が最も恐れているのが見ないふりをしている特徴があるのでは無いかということです。その半ば恐怖心から自己理解が不十分だと感じてしまいます。あくまで自分で認識できている特徴に対して理解を深めたり意見を求めたりしているだけで本当はもっと根本に何か問題があるのではないかと思うのです。それが表出した時どのような影響があるのか再発するのではないかと不安に思います。

自己理解できていると感じる人と感じない人では前者の人の方が人として成熟しているようにも思います。ただ完璧に出来ているという人はそれはそれで胡散臭いものです。自分というモノは年齢や経験、日常生活や人との出会いなどによって常に変化するのだと考えておいたほうが良いのでしょう。そして正すべきところは正し、しっかり行動で示して、分からない所や不安な所は謙虚に素直に聞いてみるということを繰り返してちょっとずつ自己理解を深めていくことも大切なのでしょうか。そして考え込み過ぎず自己理解を深める過程が成長に繋がるのだと楽しめる心の余裕こそが求められているのかもしれません。

 

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