できない、苦手だと考えてしまう原因。

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

はじめに

できないことや苦手なことというのは誰にでもあると思います。これらを意識し始めるきっかけは大きく2つあると考えています。自分自身で発見する、誰かの指摘で気が付くの2つです。苦手意識が醸成され始めると時間が経過するに連れて独力での解消は困難になります。私なりの考えを書き記したいと思います。

自分自身で発見するパターン

自分が認識している性格というのは糸が複雑に絡み合った毛糸だまに似ていています。特徴的な糸を何本も何本も付け加えたり時には解いてみたりを繰り返して全体の形を構成するようになります。大きな塊になってくると1本の糸だけを取り除こうと思っても困難になります。自分で発見した苦手意識を払拭するというのは、この糸を1本1本取り除くことと同義だと考えています。

自覚している苦手意識は根深いのです。幼少期から今までの経験や属していた環境という糸の積み重ねによって生じているためです。また苦手意識と強みが表裏一体になっていることがあり払拭することへの抵抗感が生まれることもあります。

誰かの指摘で気が付くパターン

この問題点は2つあります。自覚していない分納得して受け入れるまでに時間がかかること、事実では無いとしても複数人から指摘されると事実であると錯覚してしまうことです。

前者は図星であるほど受け入れが難しくなります。無意識に感じているコンプレックスのようなものを指摘されると防衛的な反応になるのは当然です。耳が痛いことも真摯に受け止める人でも驚きが勝るでしょう。

後者は組織や社会の論理や常識が最も近いです。会社や学校などでは常識と言われていることでも一歩外に出ると非常識なことは多々あります。また社会常識も同様です。何歳までには〇〇をしておくべきだという謎のルールがこれに当たります。

共通すること

どちらにしても苦手意識があると考え始めた途端、あたかも昔から苦手意識を持っているかのように行動するようになります。この点が最も問題だと考えています。苦手意識を解消するよりも強化したり回避的になるのです。時には諦めそうになることがあります。〇〇が苦手だというレッテルを認識してしまうと、そのレッテルの根拠を集めるようになるです。そしてできるようになるために具体的にどうしていくかということを考えないようになっていきます。自己肯定感や自己評価が低い人はこのような特徴が顕著に出ます。気分が落ち込み始めるとできない至らない自分を責めてしまうことにもなります。

おわりに

できない、苦手だと考えること自体は問題ではありません。そのことについて考え込み過ぎたり、誰かからできない、苦手なことを何度も指摘されて具体的な解決に向けた行動が取れなくなることが問題なのです。さらに長期化すると運命論的に生まれてきた時からこうだったからという理由で困難な状況に立ち向かう気力が失われてしまいます。ちょとした思い付きであったり、たった1人から指摘されたことを拡大解釈して自分自身の可能性を閉ざしてしまうことに繋がり兼ねないのです。

できない、苦手だと考えていることはいつからそうなのでしょうか。本当にできないのでしょうか、苦手なのでしょうか。特定の状況だからできない、苦手なだけなのではないでしょうか。本当は得意なのではないでしょうか。

 

ここまで読んでくださりありがとうございます。何かの一助になれば幸いです。