精神や思考を縛る行為

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

はじめに

精神的にしんどい時期にやることは決まっています。ゆっくり休息を取り頭を休めつつ後悔や不安を一度棚上げにして自分を認めてやるということです。私の経験則ですが、精神的にツラい時期に考え事をしても得られる結論はネガティブになります。また本当にそう思っているのか、そのように考えているのか、そのように行動したいのかということも曖昧な状態になり元気になって振り返ると何故そのように結論づけたのか分からないということもありました。自分自身の頭で考えることも困難になるため誰かが言っている、やっていることに影響されやすくなるということもありました。

そのように精神や思考を縛って自由な発想が失われてしまうという怖さが、うつ病等の症状にあります。なかでも最も恐ろしくボディブローのように効いてくる考え方があります。

症状が長期化する理由

「自分と他人とを比較する」行為が症状回復の最も大きな妨げとなっていたことに気が付きました。〇〇さんはもうこんな仕事をしている、〇〇さんはもう結婚した、〇〇さんのここが凄いなどです。落ち込んでいる時は他人の芝生はかなり青く見えます。自分の長所が見えなくなり他人と比較して劣っている所を見つけそれをリカバリーしようとして失敗、より嫌悪感が募るという結果になりがちです。イライラし出すと相手の欠点がより際立ちます。自分を省みる前にその人のせいにして溜飲を下げようという疚しい考えが頭を何度も横切ります。落ち込んでも、イライラしても自分自身を見失って土台がフラフラした状態になると他人から受ける影響が極端に悪くなるのです。

穏やかなときは、他人と比較しても、それを自分の目標にしたりその人の長所と自分の長所が上手くマッチするように働きかけることができます。良いライバルがいてこそ成長するというものです。それは自分自身という土台がしっかりしているからできることです。

うつなどの症状が悪化すると土台が崩れます。ですのでメンタルを守ることに注力しなければならず、他人から見ると極端に攻撃的、防衛的に見える可能性があります。言い訳っぽいですが、心を守ることに集中しないと自我が崩壊しかねないのです。

またここで言う他人とは社会常識も含まれます。〇〇歳までに結婚、車を買う、我が家を建てる、老後に〇〇円必要などです。これは目に見える他人と比較するよりやっかいです。一般常識のようで根拠を示すことが難しい。また常識通りの人生を歩むこと=平均的な人生になるだけでマイナスが0になる程度の効用しかないからです。振り返ってみると何も手元に残らず何の記憶も無いという事になりかねないのです。全てを否定する訳ではありません。それを目標に頑張って行動できる人は素晴らしいです。しかし、症状が悪化すると一般常識が牙を剥きます。そして焦る気持ちが募って回復から遠のくのです。

おわりに

シンプルな生活を始めて、うつ病と一緒に生活しようと決意してから他人と比較することを止めました。症状悪化と回復を繰り返して自分の気持ちや本当にやりたいことがよく分からなくなったという理由もあります。そのような状態で他人と比較し続けていてもツラくなるだけです。全ての人に対して何かしらのコンプレックスを抱きつつ関わることになるのです。これは不幸だと思います。他人の強みと自分の強みを活かしてこそ生活が楽しくなるわけで、他人の足を引っ張るような考え方やマインドを持っていると自分も含め全員が不幸になります。

強みや特性を活かす方法は他人との比較では生まれてきません。心身ともに開かれた状態で自由に発想してこそ生まれると考えています。また、比較しないようになってから人間関係への苦手意識が軽減されました。良い意味で他人に依存、期待しなくなったため先入観なく新しい気持ちで関わることができるようになったからです。

他人や社会常識に縛られすぎて比較し続けていると発想も一般的な当たり障りないモノに収束していきます。これでは何か新しいことを始める意欲も湧きませんし楽しく生きていこう思いづらくなります。うつ病と一緒に生活するためには悲観的になりすぎると文字通り致命的になりかねません。今後は自分の土台を見極めて他人にはない人生を送りたいと考えています。

 

ここまで読んでくださりありがとうございます。何かの一助になれば幸いです。