誰かと、何かと、比べてしまう人へ。

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

はじめに

私は何かと比較することで自分の存在意義を確認するという特性を持っていました。これはうつ病が発症した要因でもあります。

良い点もありました。競争心が旺盛になり積極的に行動する、他の人より効率的に効果的にするためにはどうすればいいか考える、認めてもらうために脇目もふらず努力するなどです。

悪い点もありました。環境に染まりやすい、比較対象によっては自己肯定感が低下する、どこまでやれば十分なのか満足なのかが分からない、他の人から承認や称賛がないと頑張れないなどです。

うつ症状が悪化すると「比較すること」は非常に危険な悪魔のような存在になります。人と比較するということは、人より優位に立ちたいという気持ちが深層にあると考えています。するとこう考えるようになります。

自分一人の力でなんとかしよう。他人に相談することは甘えだ。他人は信頼できない。うつになったから人より劣っている、その分何かでカバーしなければ。周りは楽しそうなのにどうして自分は楽しくないのか。誰も助けてくれない。楽しそうにしている人を見るだけでなぜかイライラする。

書いているだけでも少し憂鬱な気分になります。このような考え方は自分を追い込むだけです。そのため私は以下の3つの方法を実践するようにしました。順番にご紹介したいと思います。

①大切にしている、大切にしていきたいことを明確にする

冒頭でも述べたように私は何か比較することで自分の存在意義を確認していました。とういうことは自分で自分の存在意義を確認することができれば人と比較しなくて済むと考えたのです。自身が持つ価値観が明確になってくると自己コントロール感が増します。何かに振り回されている感覚が薄くなりました。うつ症状が悪化したり、心がなんとなくしんどくなっているときは、この価値観を侵害されているか振り回されていることが多いです。

価値観を明確にするためにマインドマップを活用しました。大切にしていること、大切にしていきたいことを中心に書いてあとは考えをアウトプットしていきます。過去にやっていて楽しいと感じたこと、今やっていて楽しいと感じていること、余暇にしていること、やりたいと思っていた人、なりたいと思っていた職業、好きな言葉、こういうことができたら楽しいだろうなということを入力します。実現できるかできないかは考慮しません。

そして、なぜそう思うのかを3回以上繰り返して考えを深めます。

最後にマインドマップを見渡してみます。すると大切にしたいことが少し見えてきます。個人的な体感ですが最初のうちは価値観が薄っすらと見える程度です。しかし、何回かマインドマップを作成し続けていると徐々に価値観が明確になっていき本質に近づいていく感覚がありました。

②自己成長のために全力を尽くす

比較するということは自分には何かが足りないと感じているからだと考えます。そのため自己成長のために目標を設定します。

①で考えた価値観を大切にするための目標や強みを伸ばすための目標を設定します。具体的な方が良いと考えます。楽しい1日にするなどの曖昧な目標では主観だよりになり計測が困難になるからです。楽しい1日にするためには何が必要なのかを考えて目標を細分化、具体化します。

仕事などではコントロールできない目標設定が行われることもあります。それが人生の主軸になると私のように心がしんどくなってしまいます。それがモチベーションになって頑張れる人もいます。本当に尊敬します。私は性分なのかよくわからない根拠で決められた目標が嫌いです。しかし、要領よく目標を達成している人を見るとそれに左右されて気分が落ち込んだりします。よくわからない根拠で決められた目標に対して反発しながら比較して落ち込むという謎の現象が起こるのです。

それだったら自分で決めた目標を達成するために全力を尽くす方が精神衛生も生産性も良いことに気が付きました。仕事の目標との整合性はどうするのかと言われると…。なんとなくです。その目標を達成することが価値観に沿うのであれば問題ありません。価値観が侵害されるような行動を伴うのであればそつなくこなす。そして価値観を守るための自分目標を設定します。ただ自分目標のために他人を不幸にしては絶対にダメだというルールは設けています。誰かの犠牲の上に成り立つ自己満足というのも後味が悪いものです。

③常識は変化すると頭の片隅に置いておく

目の前の人と比較することもあれば社会の一般常識と比較することもあると思います。〇〇歳までには結婚するのが当然、〇〇歳までにはこれは経験していて当然、老後には〇〇〇〇万円必要、転職は〇〇歳で〇〇回まで、〇〇にはお金をかけなければいけないなどなど。世間には当たり前や常識と言われているものが存在しています。特に専門家の方などが統計データなどを元に分析されていると妙に納得してしまうことがありました。周りの友人知人から強く薦められたり世間の常識通りに生活して幸せそうだったりする人を見て焦燥感や不安感を覚えていました。一方で当たり前や常識とは異なる生活を送って幸せにしている人もいます。

そこで私は社会の常識というモノが価値観と合っているのか常に考えるになりました。社会の常識を完全に拒絶しているわけではありません。価値観に絶対合わないからやらないのとやってみて価値観に合わないから止めるのとでは大きく異なります。

やってみたけど肌に合わない、でも流行ってるし周りもやってるからなんとなくやっている。この状態を避けたいのです。周りに流されてやりたくもないことをやってネガティブになるくらいなら自分の価値観を大切にしたいと思っているだけです。

急速に社会や生活が変化している昨今、常識も変化していくと考えています。そのとき、自分自身の軸が明確でない人は環境への対応力や適応力が求められるのでしょう。私は対応力、適応力共に下の下です。ですので世間の常識と比較することはやめて自分が大切にしたいことを中心に考えるようにしています。

 

ここまで読んでくださりありがとうございます。何かの一助になれば幸いです。