考え方や習慣が変えられない理由。

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

はじめに

シンプルな生活を送るようになってからも手放せないことの一つに「執着」があります。モノを手放すことで表面上見えているムダは削減することができます。最初は簡単に減ります。しかし繰り返しているうちに手放すことが困難になってきます。これは物理的なモノだけではなく日常生活を送る上での習慣も同様です。その根底にあるのが執着心ではないかと考えています。なぜこのような執着が生まれてくるのか考えてみました。

なぜ執着が生じてくるのか

執着の根底には意識的にせよ無意識的にせよ大きな変化を嫌うヒトとしての本能があると考えています。同じ状態を保とうとする特性があるのではないでしょうか。そのため一定のパターンや習慣を誰もが構築して生活している。

私は変化が大の苦手でパターン化することを強く好みます。ASD的特性の一つでもあるのです。変化に富んでいるように見える人もパターンや習慣を持っているように思います。確固たる軸があるからこそ色々な挑戦ができるのではないでしょうか。

ではなぜ変化を嫌い執着が生じてくるのか。ヒトは成功体験や家族、友人、知人から言われた言葉、インプットした情報、読んだ書籍などの過去経験したことがベースとなり考え方や生き方、行動の仕方が決まるからです。

考え方や行動性向の正体

持論ですが、特性や考え方のクセや心の中で使う言葉は徐々に硬質化する傾向にあると思っています。本当はそうではない、他人から見たらそうは思えない、最初は半信半疑なことでも、疑うことがなくなり信じている=執着している状態が続くと本当に現実化してくるのです。私で言いますと、頑固な特性、コミュニケーションへの苦手意識が良い例です。

頑固な特性については、このように一括りに考えることで問題を一度単純化して改善のために行動しやすくなれば良いと考えていました。常に頑固な訳ではなく特定の状況や条件が満たされたときに頑固になる可能性が高くなり表面化すると周囲との軋轢に繋がることがあるというのが正確な特性です。最近ようやく気がつくことができました。長年頑固だ思い込んでいて、周囲にも伝えていました。またもっと柔軟にという言葉を聞いては私は頑固なのだと思っていました。このように長年頑固という言葉を自分の中で硬直化させてしまい頑固ではない可能性については全く考えないようになったのです。

コミュニケーションへの苦手意識も同様です。会話全体で見たら問題ないのに、ある特定のコミュニケーションが苦手だから会話全体が苦手だと思い込んでいたのです。自分にあった会話やコミュニケーションの手段があっても苦手だという思い込みから人との接触自体が嫌いになっていました。今思うと非常にもったいないことをしたと思います。

おわりに

執着が100%いけないという訳ではありません。常に自分自身を疑うような生き方は疲れますしアイデンティティの崩壊に繋がりかねません。しかし現状に何か不満や不安があるときには何か執着していることがないか疑うことも必要だと考えています。

心の中で呟いたり、人との会話で好んで使う言葉だったり、思わず取ってしまう行動の背景には必ず執着があります。何がそのように考え行動させているのかを理解することは自己理解自己成長に結びつくと考えています。たまには時間を作って執着の源泉を探すようにしたいです。

 

ここまで読んでくださりありがとうございます。何かの一助になれば幸いです。