社会の隙間を生きる。

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

はじめに

社会の本流に乗ることなく支流で楽しく過ごすためにはどうすれば良いのかということをよく考えます。

本流と支流の意味を以下のように捉えています。

本流とは社会で一般的とされている人生を送ること。

支流とは社会で一般的ではないとされている人生を送ること。

なぜ?

本流に乗り続ける人生に疲れたこと支流には支流の良さがあると気がついたことがあります。

本流に乗ることのメリットはなんと言ってもコスパが良いことです。社会から求められていることを適切なタイミングで適切に行う、環境の変化に上手く適応していくことで本流に乗り続けることができます。デメリットとしては自分で考える機会が減るということ、流れに逆らいづらいことがあります。0ベースで考えてもコスパが悪いです。本流に乗る人生にはある程度の見通しが立つので将来設計しやすいですし仮に躓いてもどこかに答えがある可能性が高くなります。私は環境適応が苦手であり思い立ったことは実行したくなります。スクラップアンドビルドの考え方が大好きなので積み立て式というよりかは0ベース思考できないとイライラしてきます。

支流に乗ることのメリットは自分の思うような生活設計ができるということです。実現するか可能かどうかは別として、自分の意思1つで可能性が開けるのが支流だと思っています。何かおかしいと思うことがあっても本流では流れに乗り続けなければなりません。支流は他人に害が及ぶこと以外は基本的に自由です。他人から何かと口出しされてしまうことがあるかもしれませんがそれが気にならない人にとっては良い環境です。デメリットとしては誰も何も保証してくれない完全自己責任だということです。何か合った時最終的に責任を負うのが自分であるということです。

社会の隙間

うつ病を発症して自分自身と向き合った時に頑固な特性が強いと判明しました。本流に乗り続けることは頑固な自分に蓋をすることになるのではないかと考えたのです。再発ラインに差し掛かっているときに焦りだったり不安だったりしていたことの大半は他人のものさしと自分のものさしが上手く合わず比較して落ち込むというパターンが多かったように思います。もともと他人と協調することが苦手だったので本流に乗り続けることは私にとって再発リスクを高める行為だったのかもしれません。なので今より安定感とか安心感は減るかもしれないけれど将来のため精神面での回復のためには自分なりの支流をつくる方が楽しめるのではないかと考えています。大変でも他人から与えられた目標よりも自分で設定した目標の方が達成しがいがあると今では思っています。

 

ここまで読んでくださりありがとうございます。何かの一助になれば幸いです。