うつや発達障害と一緒に暮らす。

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

はじめに

うつ病ASDは治してもらうものだいう考えがどうしても捨てきれませんでした。主治医の先生やサポートして下さる方の言う通りにしていれば良い方向に進むという前提を持っていました。もちろん一定の成果はあるのですが、どこか希望する人生を歩めていないようなモヤモヤとした感覚に陥ることがありました。

うつやASDに伴う課題を解決するための相談に乗ってもらうということは心の全てをさらけ出すことになります。相談を繰り返して行くうちに、いつの間にか症状と関係するか分からない人生の大切な決断までもを支援者の方に相談するようになります。これは私自身の心の弱さに起因するのですが、こういう状況に陥っている方もいらっしゃるのではないかと推測しています。

幸福な人生を送るためには、このような判断を支援者の方に依存していてはいけないと考えるようになりました。冷静に支援者の方の立場になって考えてみると、その人の人生に対して責任を取ることはできないですし、そのような判断を求められても答えに窮すると思います。

気持ちが沈み込んだとき

うつやASDの症状が重たくなると生きているだけで莫大なエネルギーを消費します。息をすること、目を開けること、体を起こすこと、食べることが億劫になります。さらに心臓の鼓動や呼吸音、生活音が鬱陶しく感じられてきます。

少し余裕が出てきたら今度は生活基盤の再構築を行います。日常生活のリズムをもう一度取り戻すことが主目的となります。ここでも自分一人のことで精一杯になってしまいます。他人との関わりは避けてしまいます。ときには優しく手を差し伸ばしてくれている人の存在も邪険にしてしまうのです。

細心の注意を払って生活しているつもりでも予兆も無く突然このモードになります。臨界点が曖昧で自分でも把握しきれていない現状があります。なぜ気分が沈んだのか、なぜ回復したのか過去の事例を分析することは可能です。しかしどういう要因で気分が沈み込むのか100%把握することは困難なので再発リスクは常にあります。

以前知人から聞いた話によると昨日までは元気だったのに急に元気が無くなるから心配になるようです。

症状と一緒に暮らすという考え

症状は敵であり克服すべき課題だと考えていました。最近では症状が悪いときも含めて自分であると考えるようになりました。症状が悪化するとどうしても至らなかった所を見つけて自責の念が生じてきます。簡単に修正できるのであれば良いのですが、得てして症状が悪化しているときは前向き建設的な考えが生まれにくいです。このような状況を打開してくれたのが、支援者の方を含めた多くの人との出会いです。胸襟を開いて相談していると、色々な方の本音を聞くことができました。当たり前ですが皆んな何かしらの問題とか課題とか悩みを抱きながら生活しています。それが表に出やすいか出にくいかという違いがあるだけです。私なんかは表に出やすいタイプなのでむしろ他の方より溜め込んでいるモノは少ないのではないかとも思えてきました。

その時に症状と一緒に暮らそうとやっと自分を受け入れることができるようになりました。以降は変に肩肘張ることも落ち込み過ぎること舞い上がり過ぎることも避けるようになりました。

おわりに

私の症状の場合、誰のせいでもないのに症状が落ち込んでくるので周りに心配をかけるというパターンが多かったです。その原因も明確ではなく人との会話も避けてしまっていたので誤解が生じてしまうのです。抗えないとは言え非常に自己中心的かつ無責任な態度でした。症状と一緒に暮らすという発想になってからは、症状にも前向きに関わることができるようになってきました。元気なうちに他人との関わりを持って万が一の時にはどうなるのか伝えておくようにしています。また変えられないことに思い悩むのではなく、どこなら変えていけるのか、どのようにしたら変わるのかを考えるようになりました。すると自然と自分の決断を尊重するようになって自信にも繋がってきました。

うつやASDの症状は本人に自覚がないことが多いです。特に悪化し始め~再発危険水準まではほぼ無自覚です。当事者としては過去の分析結果を周りの人に伝えておいて知らせてもらうという心が必要だと考えています。

 

ここまで読んでくださりありがとうございます。何かの一助になれば幸いです。