苦労をしてこそ成長する。

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

 

「苦労は買ってでもしろ」という言葉があります。私は否定的にこの言葉を捉えていました。体調が芳しくない状態が長く続くとその思いも強くなります。苦労なんていうネガティブな要素はできるだけ手放した方が心身の安全に寄与すると考えていたのです。

最近は少し考えが変わり肯定的にも捉えるようになりました。何故否定的に捉えていたのか考えてみました。その理由は苦労を誰かから押し付けられる悪いストレスの源と考えていたことにありました。命令口調で使われるためそのような印象になったのかもしれません。

ストレスにも良いモノと悪いモノがあると何かの書籍で読んだことがあります。何かを強制されたり、能力を大幅に超えることを常に求められたり、叱責されたり否定されたりすると悪いストレスが溜まります。程よい緊張感であったり、やりたいことや好きなことで成長するための努力であったり、できないことをできるようにするための工夫を考えたり、適度な目標や締め切りを設けたりすることは良いストレスになります。

誰かから押し付けられる苦労は悪いストレスになり得ます。目指している方向性や持っている能力内の工夫で何とかなるレベルであったらまだマシですが心にわだかまりが残ります。善意で苦労をさせていると言う主張もあるとは思いますが当人が押し潰されるような苦労なのであれば少なくとも説明不足ですし悪く言うと無責任です。合理的な理由だとしてもそれは苦労をかける側が合理的だと判断しているだけで当人からすると非合理的なのです。自戒の意味も込めて覚えておきたいと思います。

一方で自身の成長に繋がると心の底から思えるような苦労は確かに買ってでもした方が良いとも思います。競争で勝ちたいとか能力をもっと磨きたいとか世の中のためとかいう理由ではありません。より良く生きていきたいという気持ちだけです。完全に主観なのですが、苦労を知らない人ほど不寛容だということをうつ病になってから実感しています。振り返って私も比較的苦労の無かった時代は自分のルールや価値観でモノゴトを判断する傾向が強く不寛容の極みみたいな状態でした。苦労するという経験や過程が無いと本当の意味で理解することはできないのかもしれません。

うつ病になったことを苦労だと思っていた時期もありますが、今では人としてより良く生きるために必要な経験で、ちょっとだけ人として優しくなれたのではないかとも思っています。人にとってはネガティブな経験だと言われることでも経験しなければ見えない景色があると確かに思います。自分で選んだ道だと言えるようになってようやくそのように考えられるようになりました。

 

ここまで読んでくださりありがとうございます。何かの一助になれば幸いです。